三重県四日市市北町で市教育委員会が発掘調査していた江戸時代の代官所跡から、約二百年前の木製の入れ歯が出土した。墓以外の場所で、しかも完全な形で出土されるのは非常に珍しいという。幅5cm奥行き6cmの上の入れ歯で、材料はツゲ。九本の歯がついていて、奥歯には削ってかみ合わせ具合を調整した跡も見られるなど精巧。
鑑定した名古屋市の「歯の博物館」館長で歯科医師の山口晴久氏によると、この時代、入れ歯を買えるのは裕福な商人などに限られていた。『くしゃみでもした拍子に堀へ落としたのでしょうか。血眼になって探したはずです』、という紹介で全国的にも大変希少な報告ものである。
このような義歯がいつ頃から作られるようになったかは定かではないが、外国で最も古い総義歯といえばフランスのフォーシャルが1737(徳川8代将軍吉宗の時代)に上顎総義歯を作っている。
日本では、羽間弥次兵衛が使用していた下顎の木床総義歯である。この人は延宝元年(1673)に60歳で没している。その他に有名なものは徳川3代将軍家光に仕えた柳生飛騨守宗冬(1675年に61歳で没)の墓から、ツゲの床に蝋石の人工歯を排列した上下の総義歯が発掘されている。
このことからだけでは日本が世界に先駆けて70~100年ほども前に既に木床義歯をつくっていたことになる。しかし、洋の東西を問わず秘術というものはなかなか記録として残されておらず、秘事口伝というか口承伝承によってのみ伝えられたので、遺物の義歯の存在でのみしか推測できないのであり、他にもっと以前に作られていた可能性は十分にあるといわれている。日本に現存する木床義歯の数は150前後あると推測されており、なかには、お歯黒の義歯もある。こういった義歯は、三重県のような例を除けばほとんど墓の副葬品として出土している。
古来から、日本に限らずエジプト、中国など世界中で死者を葬る際に、死者の世界で困ることがないように身の回りの品々などを副葬品として埋葬する習慣があった。日本でも古く古墳時代の副葬品は良く知られているけれども、近年は教義上からか、経済上からか、あるいは防犯上からかこういった習慣はあまり行われなくなってきている。序でながらお坊さんにこのことについて訊ねてみると、お墓に副葬品を入れることに何ら意義は認めていないけれども問題もない、ということで結局その家々の気の済むようにおやりなさいということらしい。
ところでその副葬品で希少な木床義歯が徳山でも出土していたのである。徳山毛利藩の家老を先祖に持つ歯科医福間公介先生の先祖代々の墓が、都市計画で移転を余儀なくされた時(S23)、同じ運命にあったお隣の墓の骨壷から木床の上下顎総義歯が出土した=「写真」。これを先生が譲り受けられ大切に保管されておられる。
私がこの総義歯を拝見させてもらいましたときに、歯科医としても本当にはるか昔に思いを馳せられて大変感動をおぼえ、写真、レントゲンなど撮らせていただきました。入れ歯の土台になる木床はツゲだろうと思われます。人工歯としては、前歯部および小臼歯部には蝋石様の石が使用されており(上顎に10歯、下顎に8歯)、それが実に精緻にカットされ、溝が彫られ、木床に陥植し排列されている様にほとほと感心したものです。レントゲン写真によってなお鮮明になってきました。
噛む力は、普通第一大臼歯部でその人の体重に相当する圧力がかかるといわれており、このような強い力に耐えて離脱しないように石の歯を陥植するには相当な熟練と高度な技術が必要であったことでしょう。さすがに、小臼歯と大臼歯の噛む面には、咀嚼機能の向上を図ったこともあってか釘のようなものが使用されていました。
昔の人の義歯使用にあたって興味深いのは、木床義歯の内面に、ご飯をへらで練って糊状にしたものを貼り付けて接着剤および緩衝材として用いたこともあったらしいことである。いまの人より歯肉が頑丈でしたから、少々の不適合には耐えていたものと考えられるけれども、ご飯のペーストを使うことなど今様に云えば食べられるリライニング剤として面白い。
「先生入れ歯の調子が悪くなったので新しいのをこしらえて下さい」
「でこの入れ歯はいつ頃作られましたか」
「7年位前です」
「噛む時に痛いところでもできましたか」
「いいえそうではありません、私は食事の時は入れ歯を、はずして食べることにしていますので」
歯科医は愕然、このように入れ歯を本来の咀嚼機能の回復に用いるのではなくて審美感とか発音機能の回復にのみ使用する人も稀にいたし、逆に食事をする時にのみ入れ歯を使う人もかなりある(部分入れ歯を使う人に多い)。日頃は入れ歯がなくても平気なのである。これはあるいは最初の入れ歯がそのようにさせてしまったのかも分からない。そうかと思うと、一歯でも欠損すると、前歯は勿論だが、臼歯でも頬が落ち込むとかいわれる人もあって、本当に歯に対する思い入れも千差万別であり、当然の事ながら歯科医はその各々に対応していかなければならない。歯科医であっても、自分の歯が無くなったにもかかわらず日頃は入れ歯を使わない人もいる。違和感に耐えられなかったのでしょうが、周りから見るとやはりみっともない感はぬぐえないようです。
が何はともあれ、入れ歯の最大の目的は、人間の食欲を満たすための咀嚼機能の回復です。夫唱婦随をテーマにした古い落語の中に、入れ歯を夫婦で交代して使うという、今では信じられないような話がある。おじいさんが使った入れ歯を次はおばあさんがはめて食事をするという、嘘のような本当のような話である。物を噛んで食べるということがいかに大切なことであるかではありますがこれは1つには、入れ歯という物が昔はとても高価なもので、一般庶民にはなかなか手の届かないものであったことを示しているといえるでしょう。今はあまりにも簡単に義歯が入れられる世の中になってきました。しかしそのようになってからの歴史は本当に半世紀ぐらいのものであることをいろんな面で思い起こす必要があるかも分かりません。日本は世界に冠たる長寿国になりましたが、入れ歯王国でもあります。誰でもすぐに入れ歯が入れられるようになったのは、歯科の技術革新があったことは勿論ですが、これも世界に冠たる健康保険制度が著しく貢献していることを忘れることはできません。しかしこの保険制度はいま大赤字でアップアップしている状態です。何とか立て直して誰もが健康で豊かな食生活が楽しめるような社会を続けたいものです。